消えた天才と呼ばれた岸潤一郎選手
現在は結婚していてお子さんもいらっしゃいます。
そんな岸潤一郎選手は、2019年ドラフト8位で西武ライオンズに指名を受け
契約金1000万円、年棒500万円で合意。
2020年は2軍中心で54試合で打率253、本塁打4本、打点21、盗塁4
1軍では5試合に出場しました。
岸潤一郎は2019年に結婚
岸潤一郎選手は2019年に結婚していました。
お嫁さんについては特に公表はしていないようで
詳しい情報は出ていません。
ただ岸選手ご自身のTwitterのプロフィール画像が
ご夫婦お二人の写真だったのですが
(奥様の顔はわからないようになっていました)
残念ながら現在は変更されています。
岸潤一郎の子供について
既に子供もいらっしゃいます!
お子さんは娘さんのようです!
ご自身のTwitterに画像を載せていたのですが
残念ながら現在は削除されているようです。
岸潤一郎はなぜ消えた天才と呼ばれたのか
まず、野球界から消えた(一時的に)理由は怪我でした。
明徳義塾高校時代には史上最高の逸材「天才」と呼ばれていました。
甲子園では最速146kmのストレートとキレのある変化球
バッターとしては1年から4番を打つなど、二刀流として活躍。
通算26本の本塁打を記録します。
当時の対戦相手には阪神タイガースの藤波晋太郎、読売ジャイアンツの香月一也、西武ライオンズの森友哉などがいます。
そしてプロ志望届は出さず明徳義塾の監督の母校である拓殖大へ進学します。
拓殖大学に入学後、間もなく肩その後肘を痛めてしまい
治ってもまた再発しその繰り返しで岸選手は「トミージョン手術」を受けることになります。
しかし、その後は大学のチームに戻っても馴染めずそのまま大学を中退してしまいます。
今まで第一線で活躍していただけにそのダメージは相当なものだったのかもしれません。
トミージョン手術とは
かつて、マエケンこと前田健太選手、大谷翔平選手、ダルビッシュ有選手が受けたことで有名ですがその名前の由来はトミー・ジョンという大リーガーが「損傷した肘の内側側副靭帯の再生手術」を1974年にはじめて受けた手術です。執刀した医師ではなく受けた人の名前がこの手術の名前になるなんて意外というかびっくりですよね。トミー・ジョン投手はこの手術を受けたことにより14年間で164勝をあげ、なんと46歳で引退したようです。
岸潤一郎は徳島インディゴソックスで復帰
『徳島インディゴソックス』の社長・南啓介社長に出会ったことで野球に復帰。
社長より直接声がかかり両親のすすめもあって、そこでもう一度野球を始める!と決意します。
そして見事トライアウトに合格し入団!
開幕からレギュラーとして出場して最多盗塁を見せてくれました。
そして、2019年には西武ライオンズからドラフト8位で指名を受け入団。
その後、西武ライオンズと徳島インディゴソックスが対戦。
岸選手ももちろん出場しました!
岸潤一郎のプロフィール
引用:埼玉西武ライオンズ
登録名/本名:岸 潤一郎(きし じゅんいちろう)
生年月日:1996年12月8日
身長/体重:174cm 82kg
出身地:兵庫県
投打:右投げ/右打ち
経歴:明徳義塾高 ー 拓大(中退)ー 徳島インディゴソックスー埼玉西武(8位 ‘20~)
出身:兵庫県
出身中学:尼崎市立中央中学校
野球を始めた時期:小学4年生
野球を始めたきっかけ:父が野球をしていたのと、友達に誘ってもらった
影響を受けた選手:イチロー選手
セールスポイント :外野からの送球とスピード感のあるプレー
登場曲:走れ!(Zバージョン)ももいろクローバーZ
まとめ
岸潤一郎選手について
・岸潤一郎選手は2019年に結婚、娘さんが1人いる。
・岸潤一郎選手は明徳義塾高校時代に史上最高の逸材「天才」と呼ばれ、その後野球界から怪我の為消えていったことにより「消えた天才」と呼ばれた。
・岸潤一郎選手は徳島インディゴソックスへ入団したことにより野球界に復帰。
2021年6月1日の対巨人戦(日本生命セ・パ交流戦)ではセンター7番のスタメンで出場しプロ入り初ホームランを放ちました!
すると「ホームランボールを頂けるなら、奥さんに渡したい」と話されていたようです。
岸選手はいろいろありましたけど素晴らしいプレイヤーですよね。
これからの西武ライオンズでの活躍を期待してます。
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